私は普段サバゲー関連のブログを書いていますが、身バレしない範囲で私自身の学生時代の研究も踏まえて今、私たちにできることを解説します。
私たちは小市民ですが、無力ではありません。
私たちには静かに、冷徹に、かつ積極的に起こせるアクションがあります。
まどろっこしい人には動画でまとめました。
漫然と傍観しない
まずは絶望したり、対岸の火事であると思い込んで他人行儀に傍観するのはやめましょう。国際政治はもはや局地的な武力衝突で完結するものではありません。そして、大陸の反対側で起きている事件が霞が関を動揺させるようになったのは実に100年以上前です。
少し歴史を例に出して過去を振り返ってみましょう。
19世紀の終わりにシベリア鉄道が着工しました。するとロシア帝国は、西はモスクワから東はウラジオストクまで、穀物や兵士を一気に輸送できるようになりました。少し形式ばって表現するならば、ロシア軍の国内での機動力が機械化されたということになります。
当時の日本にとってロシアは樺太などの北方領土を分け合う隣人ではありましたが、往年の英仏の様に敵対する国家ではありませんでした。
しかしシベリア鉄道の建設によって状況は一変します。それまでロシアにとって日本や朝鮮周辺(具体的には鴨緑江北岸)は、「何かあればよしなに話し合って折り合いをつければいい辺境の地」でしたが、シベリア鉄道が開通して以降は「何かあれば即座に大軍を動員できる自国領土」へと見方が変わりました。
反対に日本にとってロシアは静かな巨人から、こちらへ拳を振り下ろせる大熊へと姿を変えることになります。
日露戦争の直接的な引き金は清の利権争いですが、その遠因は欧州列強の植民地争いの激化です。どれだけ欧州が植民地争いをしていようと、彼らの矛先が日本に及ばなければ霞が関にとってはどこ吹く風ですが、軍隊が汽車に乗って現れるのであれば話は違います。
こうして日本は本格的に欧州の国際政治の表舞台に立つことになりました。
これは今から120年も前のお話です。
航空機が太平洋を飛び交い、人工衛星が地球を回り、インターネットが嘘も誠も指先一つで地球の隅々まで瞬時に届けてしまう現代の私たちは、当時の日本国民よりも遥かに深く国際社会の当事者になっています。
それではどのようにウクライナに関わっていけばいいのかに話を戻してみましょう。
正確な「二次情報」にあたる
最初に正確な二次情報にあたることを心がけましょう。よく史実に関する議論で直接的な一次情報の有無が争点になりますが、こと戦史に関して一次情報は非常に危いものです。
これは100年前に撮られた無声映画のワンシーンですが、示唆に富んだシーンがあります。
狙っては撃ち、撃ってはキルカウントを自己申告で書き込んでいく兵士。そして反撃に遭って慌ててキルカウントを書き換えます。チャップリンの名演はコメディとして高品質であるだけでなく、当時の戦争経験者から「あるある」という笑いを誘ったそうです。
チャップリンが板切れにチョークで記した正の字こそ一次資料です。上の映像を見ながら笑った方はもう一次資料の危うさをご理解いただけたのではないかと思います。
それに対する二次資料は一次資料をもとに専門家などが分析、比較して世に公表している資料です。たとえば新聞やニュースがそれにあたります。日本の新聞やメディアが腐敗していて信用ならないということでしたらどうぞ海外のメディアをご覧ください。私はガーディアン紙の英文はかなり平易で読みやすい部類だと思います。
我々は英雄譚を求めてしまう
人は絶望的な戦争を親身に見るとき、その戦争が絶望的である事実に耐えられずに英雄譚を求めます。フィンランドのシモ・ヘイヘ、日本の船坂弘、チェコのガブチークなど、絶望的な戦闘を戦い抜き、後世まで軍神として語られる彼らの物語は私たちの心を揺さぶります。
しかし彼らの奮戦は戦略的な成果をもたらしたでしょうか?フィンランドはカレリアを失い、日本は無条件降伏し、チェコレジスタンスは壊滅しました。
そんな英雄譚は今回のウクライナ戦争でも現れました。
誰が呼んだか、「キエフの亡霊」は救国のエースパイロット。航空優勢など壊滅して飛行場すら制圧されたキエフの空を飛び回り、ロシア軍機を立て続けに撃墜しているとささやかれています。その存在は公式には認められておらず、裏をとった上で発表されたニュースもありません。
こんな心躍る物語にはひと際注意する必要があります。
スポーツクラブやミュージシャンなどの支持者を指す”fan”という語句の語源は「熱狂」を表す”fanatic”です。私たちはそんな英雄譚に熱狂し、軍隊のファンになってしまいがちです。
fanatics=熱狂者は恋する乙女の様に盲目で、情報の確からしさを吟味する視力を失っています。フェスでタオルを振り回しているときはそれで結構(私もフェス大好き)ですが、軍隊の虜になるべきではありません。
文民統制の国家における軍隊は政府の道具であり、国民の守護者です。民主主義国家の主権者たる国民として、彼らに払う敬意と関係性を混同してそのファンとなってしまわないよう、適度な距離を保ちましょう。
英雄譚は私たちの目を曇らせ、正確な情報へのアクセスを阻害します。
支援は冷静に
今回のウクライナ侵攻の非は明らかにロシアにあると思われますが、その話はここでは置いておきます。
今回のウクライナ侵攻は、ユーゴ内戦(戦争)以来の人道危機を欧州に引き起こしています。この状況に何かしなければ、何かできることはないかと心がはやるのは良識ある人間として当然の反応です。
そして現在いくつかの支援先があります。とにかく目が付いたところに片っ端から私財を投じるべきではありませんし、そんなことができる人はいません。
支援先は冷静に選びましょう。支援は言うなればうっすらとしたロビイングです。民主主義のシステムを介さずに直接他国の社会システムに手を突っ込む手段です。そのことを念頭に置いて冷徹に、戦略的に判断してください。
あえてリンクは貼りませんが、現在ウクライナ大使館が募金を求めています。率直に言うと、私はウクライナを外交的には支持しながらも現在直接経済的に支援することはできませんでした。
帝国書院によると、第二次世界大戦中、日本の戦費がピークに達した1944年の国家予算に占める軍事費は85%に上りました。つまるところ最低限のインフラの維持以外は税金も国債も金品供出も一切合切軍事費に突っ込んでいる状態です。
全土に戒厳令が敷かれ、総動員のかかっているウクライナに送ったお金は例外なく、直ちに、遅滞なく軍事費に消費されることは火を見るより明らかです。国中の橋を爆破して必死に遅滞している状況で軍事費以外にお金を使う国家指導者がいたら正気ではありません。
「何を個人の募金レベルで大げさな」と思うかもしれませんが、ブッシュ=アル・ゴア事件など、私たちのような小市民の一票が回りまわって国際政治を動かすこともあります。もし2000年の大統領選でアル・ゴアがブッシュを破っていたら、今ごろ世界はどんな姿をしているでしょうか?
ここには到底書ききれない思惟の結果、ウクライナ当局への直接的な支援は見送り、UNHCRへ募金することにしました。
価値観や判断基準は人それぞれです。しかし、すべての形の支援に共通する考え方の原則を忘れないでいていただきたいと思います。
誰かを支援するということは、その支援先を「てこ」に何かしらの形で社会を動かすということ。その動き方を予測して、回りまわって社会が自分が望む形になる可能性が最も高い場所にベットするべきです。
可哀そうな人を支援したい気持ちは私にもあります。しかし、駅前でワンチャンネコチャン!と叫んでいる若者にお金を渡す気にはなりません。
判断基準は常に相手の可哀そうさではなく、自分へのリターンで考えるべきなのです。
戦争反対を貫く
「戦争反対」は現実を無視した理想主義ではありません。
「戦争は望むと望まざるとに関わらず巻き込まれるもので、戦争反対を叫んだところで戦争はそんな声を聞いてくれない」という誤解は社会に広く蔓延しています。
昨日の侵略者が今日いきなり「戦争反対」と言っても全く信用されませんが、非戦を50年、100年と継続するうちに信用はゆっくりと醸成されていきます。
確かに戦争中に戦争反対を叫んでも、それが意味を持つのはベトナム戦争中のアメリカのような圧倒的な超大国だけです。しかし、戦争に至る前の段階での戦争反対には一定程度相手を抑止する効果があります。
「戦争も是々非々だよね」と言っている政府と「我々は絶対に戦争を起こさない」と言っている政府があったとき、前者の政府に対しては「危険な政府なので打倒しなければならない」という宣戦の大義名分が成立してしまうのに対して、後者の政府にはその大義名分が成立しません。
黙々と防衛戦争の準備をしながら絶対に自分からは攻撃しない姿勢を貫いている政府は信頼されますし、その政府への攻撃は侵略者の信頼を決定的に失墜させます。高度に分業化した国際社会で信頼以上に価値のある財産はありません。どれだけ工業力があっても国際的に孤立してしまっては何も売買してもらえず、国庫は干からびていく一方です。
資源も海もなく、国土が峻険な山だらけのスイスは徹底した武装中立を貫くことで世界の金融資産を一手に引き受ける金融立国へとのし上がることに成功しました。大陸欧州ほぼ全域を支配下に置いたヒトラーですらスイスへは侵攻しませんでした。
国民一人一人が戦争反対を貫き、本当の意味での非戦主義者を選挙で選び続けることが日本の国際的な信頼と安全を一層強固なものにします。
日本の法律を学び直す
日本人にとって「同じことが日本に起こったらどうなるだろうか」というのは、「今ウクライナがどうなっているのか」と同じくらい重大な関心ごとです。日本はウクライナと同じくロシアの隣人であり、ウクライナほど深刻ではないにしろ領土問題を抱えています。
ここで一度冷静になって日本の三権分立がどのように構成されているか、日本において憲法はどのように位置づけられているかを今一度理解することが大切です。
日本はこうするべきだ、欧米はああするべきだ、と論じる前に日本の法制度を読み解けば日本がなぜ下記のような判断をしたのかを理解することができます。持論を展開するのはそれからでも遅くはありません。
【制裁措置】
— 岸田文雄 (@kishida230) February 25, 2022
23日発表の制裁措置に加え
①資産凍結と査証発給停止によるロシアの個人・団体などへの制裁
②ロシアの金融機関を対象とする資産凍結といった金融分野での制裁
③ロシアの軍事関連団体に対する輸出、国際的な合意に基づく規制リスト品目や半導体など汎用品のロシア向け輸出に関する制裁
まずは立法、行政、司法の三権分立です。
行政:代議士の中から総理大臣(行政府の長)が指名されます。
司法:総理大臣が最高裁長官を指名します。
→最高裁の裁判官は衆議院選挙と同時に国民審判にかけられます。
このようにして三権はじゃんけんの形で(形式上)お互いにけん制し合うことでバランスを維持しています。
次に憲法の建付けです。
日本は民主主義国家なので、国民は原則何をしてもOKです。なので法律は自分たち(代議士)で作るし、政府にされて困ることはリストにして先に禁止しておきます。
この「政府にされて困ることリスト」が憲法です。気に入らなければ国民が書き換えればいいのですが、1億人に意見を聞きまわって文章を作るとウェストファリア条約の100万倍めんどくさい文章になるので、代議士に書いてもらいます。
代議士はときどき「憲法ver. 2」とかを作って国民に提案します。国民の過半数がそれでOKと言えば晴れて憲法は書き換わります。
そんなに難しい話ではありません。与党が改憲案を出し渋り、野党が改憲案を出すことを批判するからやたらと憲法が堅苦しくなるだけです。
戦後に作られた憲法の明文を維持しながら解釈変更で運用するようになったのは、誰が良くて誰が悪いかという議論をすること自体がナンセンスで、日本の国会がそういう風に運用する文化だったというだけの話です。
日本の制度はざっくり上記のようになっています。国内には1億人もいるので意見の違う人が何千万人かいるのはどうしようもないことです。
もし自分がこうするべきだ!という意見がある場合は意見の異なる他人を説き伏せる前に自分になるべく思想の近そうな政治家に「こうしてくれや」という意見を出すのが議会制民主主義の常道にして最短ルートです。
憲法が気に入らないのであれば護憲派を叩くのも結構ですが、「与野党問わずガンガン改憲案出せ!気に入ったのがあれば賛成してやる!」というスタンスでいた方が改憲案が出てきやすい気がします。私は政治家ではないのでその辺の駆け引きはよく知りませんが。
「敵」を容易に特定しない
最後に「敵」「味方」を容易に二分しないことが大切です。
分断統治という手法があります。もともと仲良く暮らしていた人々をあえて反目させ合うように仕向けることで、全員を進んで自分の支配下に置くという統治の手法です。有名なスタンフォード監獄実験は、ミクロな規模で実行された分断統治ということができます。
分断統治がなぜ恐ろしく、敵と味方の二分法がなぜ危険かを解説します。
一見バラバラな集団は自由気ままに走り回る幼稚園児の様に統治しづらそうに見えますが、それぞれが自分の利益のためだけに動いているため、先生がお菓子を一人分だけ用意すれば幼児たちは我先にお菓子を貰おうと先生にすり寄ってきます。
一方で団結した高校生は「先生、お菓子を一つしか用意しないのはおかしいと思います」と言って一個だけのお菓子を受け取ることを拒否して先生に反発します。
前者はお菓子一つで幼児全員をコントロールできるのに対して、後者は全員分のお菓子を用意しなければ少年たちをコントロールできません。
逆に言うと、前者は全員で一個しかお菓子を貰えないのに対して、後者は粘り勝てば全員がお菓子を貰うことができます。
上記は極限まで単純化した団結と分断の例ですが、分断された状態のコントロールされやすさはご理解いただけたのではないかと思います。
勘のいい読者の方はもうお気づきかもしれませんが、分断された人々は本来団結できる潜在的な仲間を敵であると捉えています。上記の幼稚園児たちは、高校生の様に団結すれば先生に抵抗できる能力はあるにも関わらず、隣の児童をライバルであると認識してしまっています。
一つの社会の中で人々がいがみ合っている状態は、外から見れば最高に分断して支配しやすい状態です。片方に武器を渡して「もう片方を殴り倒したらそいつの財産を半分取っていいよ」と言えばいいのです。コストは半分で従順な下僕もその敵もまとめてゲットです。
最後に
私たちはそうなってはいけません。外敵にとって団結よりも恐ろしい兵器はありません。今、プーチンは必死にウクライナを分断しようとしています。ドネツクなどの東部で紛争を起こし、ウクライナの人々を紛争に辟易させてきました。この8年間、「平和が欲しければロシアに下れ」とささやき続けてきました。しかしウクライナの人々は平和の甘い囁きを前にしても、ウクライナを二分してロシアに下ろうとはしませんでした。
その結果が今回のウクライナ侵攻です。ロシアにとって軍事侵攻は最後のカードです。今回の侵攻がロシアの信用を失墜させることすらわからないほどクレムリンは愚かではありません。それでもロシアには他のカードがなくなってしまいました。ウクライナの人々は静かに団結を維持することで正義のない戦争を仕掛けさせるところまでプーチンを追い込みました。
圧倒的な軍事力を前に恐らくゼレンスキー政権はもう長くもたないでしょう。しかし連帯した人々は何度蹂躙されても国家を再興します。
ポーランドはドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国に分割され、第一次世界大戦の廃墟の中から復活しました。その後ポーランドはドイツとソ連に分割され、第二次大戦後はソ連の衛星国となりました。ポーランドが再度の独立を果たすとき、初代大統領となったのは「連帯」という自主管理労働組合の創設者ワレサです。
あなたと意見の異なる隣人はあなたの敵ではありません。温かいコーヒーと一欠けらのクッキーをお供に政策談義を交わそうではありませんか。