サバゲーといえば迷彩服。迷彩服と言えばサバゲー。そんな印象は2021年も終わろうとする今日でもまだまだ強いもの。
本稿ではそんなサバゲーのイメージはどのように形成され、なぜ変化してきたのかを時代背景などと一緒に解説していきます。
サバゲー黎明期~00年代
サバゲーが日本に浸透し始めた1980年代はゲームもエアガンも発展途上。
時期的にはベトナム戦争終結から10年も経っておらず、リアルタイムでソ連がアフガンに侵攻している頃です。
そんな時期のサバゲーを知る人が語るには、フィールドなんてものはなく、各々がエアタンクを背負って森や河川敷に入り込んで戦争ごっこに興じるという時代です。
温暖湿潤な日本の森林や河原に馴染む迷彩と言えば森林迷彩。この時期にサバゲー=迷彩のイメージは形作られていきました。
サバゲーの入り口が戦争ごっこですから、必然的に装備は軍装になります。しかもそれを模倣するのはリアルタイムでベトナム戦争、アフガン侵攻、湾岸戦争を見ている人々です。日々のニュース映像に映る軍隊の装備に憧れて、アメ横の露店で在日米軍の放出品を買いあさります。
この時代の装備の系譜は今日まで引き継がれていくことになります。
それと並行して、どう考えても危険なパワーがエアガンに与えられる時代が、東京マルイがホップアップシステムでパワー競争に終止符を打つまで続いていくことになります。
改造エアガンの乱射事件を受けて2006年に銃刀法が改正され、エアソフトガンが発射できる弾の運動エネルギーが0.98J以下に規制されました。
それと時を同じくして、サバゲーを安全かつクローズ環境で楽しめるフィールドが出現し始めます。
サバゲー興隆期(2010年代)
2010年代に入るとサバゲーフィールドとプレイヤー人口が増加し、いわゆるミリオタ以外の層にもサバゲーが遊びとしてリーチし始めるようになります。
その理由には合法な装備で、合法な施設で堂々と遊べる環境が提供され始めたこと、SNSを通じて趣味の情報が草の根で広がるようになったことが挙げられます。
この時期からサバゲーの装備は多様化し始めます。たとえば軍装以外にもイラク戦争やアフガン戦争で活動するPMC(民間軍事会社)の装備やSWAT装備などが認知され始めます。
また、この時期になると海外製エアガンの性能が著しく向上し始めます。安価で高性能、かつ東京マルイ以外の選択肢がユーザーに与えられたことでサバゲーそのものへの参入障壁が大きく低下します。
2010年代後半になると、ミリタリーとその派生スタイルだけでなく、スポーツ系などのスタイルが誕生します。
UABプレイヤーの銃
— UAB®︎【公式】 (@uab_airsoft) July 27, 2021
UABの公式大会ではルールの範囲内ならどんな銃を使ってもかまいません
エアコキハンドガンのみでシリーズランカーになった猛者もいます🔥#UAB pic.twitter.com/kAGhdj1o20
これも一重にユーザー増加の賜物です。ユーザーが増えたことによってさまざまな需要が生まれ、それに応えるようにさまざまな製品が市場に投入されるようになりました。
そして、多様なユーザーの需要に応える市場が新たなユーザーを引き込むというループが始まりました。
これから(2020年代)
サバゲーはこれまでになく自由で、快適になりました。
熟練プレイヤーがジーンズとシャツでプレイし、コスプレを楽しむ人はコスプレを楽しみ、女性向けのイベントまで開催されるようになりました。
確かに2010年代前半までは「装備指摘系軍装おじさん」という最高にめんどくさい人種が一定数生息していたのですが、装備が多様化した結果、指摘が追い付かなくなって絶滅していきました。
今は公序良俗に反するものでない限り、どんな格好をしていても文句を言ってくる人はいません。
迷彩服を着るも自由、着ないも自由。自分が思うままにゲームをプレーできる環境が整えられつつあります。
「つつ」というのはキャッシュレス化が進んでいなかったり、案内が外国人にあまりフレンドリーでなかったり、共通のプラットフォームがなかったりと、改善の余地(伸びしろ)がまだまだあるからです。
迷ったらやってみよう、初めてのサバゲーに行ってみませんか?